告知文を作成するということ--宛名のない手紙--

長らく更新を怠っていた。動向に関心を持っている方々には失礼なことをしました。

ワールド・カフェ・デザイン コミュ二ティは、無事、第1期生が集まり、はじまっています。

更新を怠っていた1ヶ月強の間で、すでに第1回と第2回の勉強会は終えていて、いま、1期生は各チームに分かれて、ワールド・カフェの企画をおこなっている。

企画、と一言で言っても、話し合う内容はもちろんこと、参加人数、場所、時間、プログラム、会の目的、問い、公開イベントか非公開イベントか、などなど、その内実は多様に分岐し、決めていかなければいけないことは多い。その一つ一つに検討、検証をおこない、メンバーの共通了解のもと決めていかねばならない。

どこから決めていくのでもいいかとは思うが、とりわけ、時間的な制約(開催日が決まっているなど)がある場合、早い段階で目下の課題となるのは、「告知文の作成」である。

告知文の作成が完了する、ということは、すでに、核となるコンセプト、参加人数、場所、時間、参加費などの形式的な要素は定められているはずである。

そうして、参加者が告知文を読んで、参加するか否かを決めるための要素は提示しなければならない。

参加しないとしても、「参加しない」と参加者が決めることができることが倫理的であると言える。「倫理的」というのは、「それぞれが別の人生を生きており、それぞれができるだけ、自身に与えられている必然性と自由のもとで、自分の仕事を為していくべきである、という人間観において、できるだけ、余計な考え事はないほうがよい。」そのような意味である。

さて、このような要素が決まれば、あとは具体的に文章を編まねばならない。

そういったときに重要となるのは、どう控えめに言っても、「誰に(どんなふうな人)」伝えるか、ということになる。しかし、このあたりは多くの「言葉で伝える」「文章術」などの本を読めばだいたい同じようなこと(それでもとても重要であり、いつでも思い出すべき価値のあること)が書いてあるため、ここで書くことは控える。

今日書き留めておきたいのは、「告知文とは宛名のない手紙である」という考えである。


告知文を作成するということ

いまや多くの人がイベント情報を広めるためにSNSを使用することは通例のようになっている。もちろん、まだまだSNSをやっていない人もいることが予想されるため、googleドキュメントやpeatixなどのプラットフォームを使用することもよいだろう。使い分けてもいいし、両方使ってもいい。なんにせよ、その決定権は「何をしたいのか、どんな人に来て欲しいのか」という会のコンセプトにかかっている。

しかしながら、誰が見るかもわからない相手に、自分たちがやりたいことに興味を持ってもらい、自身の有限な人生の時間(主に休息時間)を費やしてもらうには、それなりの文章を書かねばならない。

こういった意味で「広告」の領域の仕事に長けている人は「告知文作成」において卓越した技術を発揮するだろう。言わずもがな、タイトル、文章の流れ、文体を目的工学的に位置付け、表現することが求められるからである。

しかしながら、そのような目的工学的な技術に加えて、ワークショップの告知文は独特なセンスが求められる。

それは、端的に言えば「勇気」である。

ワークショップは、普段話しづらい内容を普段話しづらい人たち(それでいて、話したがっている内容を話したがっている人たち)が集まって、話し合うからこそ、ワークショップと言える。内容はもちろんだが、まずもって、それを告知文において掲示しておく必要がある。

話しづらい内容は原因があって、話せていないのだし、話しづらい人は原因があって、話せていないはずであるし、そうであるならば、いきなり初対面の人たちと話し合おうというのは、簡単なことではない。話したいけど、話しづらいことを無理やり話せ合わせようとするならば、心理的配慮が必要となるだろう。

だからこそ、告知文の段階で、ある程度どんな話し合いをするのか、を伝えられていなければならない。しかし、話しづらいことであろうし、主催者側も話したいから、話せていないこと。そういったことを公的の場に放つことは勇気がいる。

慣れてくるとなくなってくるが、実践を始めて最初の頃は、自分自身がどんな人間か、知らない多くの人たちに知られることになろうこと、それによって、なにか思われるかもしれないこと。そういったことに想像力を行使してしまい、不安が生じてしまうかもしれない。それならば、勇気が必要になってくる。

心理的な不安状態で萎縮してしまい、ちゃんと何を話したいかを伝えられなければ、実際に参加してくれた方に誤解を与えてしまったり、悲しい気持ちにさせてしまうかもしれない。

それではいい出会いは生まれにくいし、望まないだろう。

デザインとは、偶然を意図的に発生させるための技術である。対話というよき偶然を発生させる上では、単なる技術的な巧さだけでなく、人間臭い勇気、器も試される。

だからこそ、ちゃんと自分たちが何を話したいか、を伝えようとしなければならない。

換言すれば、「内面の吐露」である。混沌とした内面の問題意識を押し付けがましくなく、知らない人も読める文章に表現しなければならない。

簡単なことではないだろう。

「誰に」---つまり、対象が明確であればあるほど、文体は同定されていくし、二人だけの秘密という暗黙の約束が内面を吐露しやすくなるかもしれないが、公的な場に放つのであれば、そういった身内の優しさのようなものに期待はできない。

しっかりと伝えるべき要素を定め、想いを伝えようとしなければならない。


これは易しいことではないが、労苦を経た文章は必ず、まだ見ぬ「よき出会い」を準備する。

その後もしっかりとワークショップ内容を洗練させれば、必ずよき出会いがある。

そこに一つ、ワークショップの本質的なおもしろさがあるのではないだろうか。

「告知文の作成」ということはそういった意味でワークショップデザインの一要素だとわたしは考えている。


ぜひ、第1期生には、なんらかの形で(それが「ビンビンと」か、「じわじわと」か、などはわからないが)わたしたちをまだ知らぬ人にもなにか伝わっていく「宛名のない手紙」を綴ってみて欲しい。


へるめ

World Cafe Design Community

ワールド・カフェ・デザイン コミュニティ 第二期生募集! (2017/2/25〜5/14)

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